警察捜査が必ずしもプロの結論ではないこと

2016年09月09日 · 未分類

少し長く、交通事故とは直接関係ありませんが、亡くなられた一巡査の命を社会として無駄にしないためにも、時間がある時に是非お読みください。

以下、週刊金曜日ネットニュースから転記です。

裁かれる埼玉県警機動隊の“殺人訓練”――何度もプールに沈め溺死に

水深3メートルのプールの底まで繰り返し力ずくで沈め、動かなくなると引き上げて放置する。殺人、または拷問死というほかない残虐な事件が埼玉県警で起きた。

埼玉県警機動隊「水難救助隊」の新人隊員・佐々木俊一巡査(享年26)は、2012年6月29日、朝霞市の機動隊のプールで潜水「訓練」中、溺死した。遺族の調査で浮かんできたのは、「訓練」に名を借りたリンチだった。

俊一さんは機動隊員の暴行によって死亡したとして、母・千春さんら遺族が、今年6月28日、埼玉県や救難救助隊の巡査、巡査部長、警部補ら4人を相手取り、総額約1億9000万円の損害賠償を求める国家賠償請求訴訟をさいたま地方裁判所に起こした。

「真相を知りたい。被告の警察官たちには正直な話をしてほしい」

翌29日、命日に開いた記者会見で遺族は涙ながらに語った。

遺族や弁護団(野本夏生弁護団長)によれば、主に警察から聞き取った事実をもとに判明した経緯は次のとおりである。

12年6月29日午後4時ごろ、基礎訓練に続き、「完装泳法」の訓練に移った。空気ボンベ、シュノーケル、足ヒレなど重量38キロの装備を身につけたまま、ボンベの空気を使わずシュノーケル呼吸のみで、潜ったり立ち泳ぎをする訓練だ。

俊一さんは変形性膝関節症で足が痛かった。訓練開始からまもなく、プールの浅い部分(水深1・2メートル)に移って足をつき、訓練中止を申し出た。痛みのせいで立ち泳ぎが続けられない。

だが、指揮官のI巡査部長は訓練続行を命じた。俊一さんはやむなく泳ぎ続けた。しかし、やはり痛い。とうとうプール内壁に取り付けられたはしごをつかんだ。そして中止させてほしいと訴えた。

するとプールサイドにいたN巡査部長が、俊一さんの顔を足で何度も踏み「佐々木、つかむんじゃねえよ」と怒鳴った。そして、「無理です」と繰り返す俊一さんを力ずくではしごから引きはがした。
俊一さんはパニック状態に陥った。

続いて、水に入っていた指導員のW巡査が俊一さんをプールの深い部分に連れていき、背後から両肩に手を置き、体重をかけて水深3メートルの底まで沈めた。5、6秒かけて浮いてくるとまた同じ要領で沈めた。I巡査部長の指示だった。

俊一さんは水中メガネとシュノーケルを顔に着けたままはずすことは許されなかった。シュノーケルの管内や水中メガネの中に水が入り、呼吸ができなかったとみられる。

4回ほど沈められた結果、俊一さんは水中で動かなくなった。すると、そのまま10秒ほど放置され、ようやくプールサイドに引き上げられた。呼吸や心拍の確認はしなかった。人工呼吸もしていない。そればかりか「死んだふりか」などと言って往復びんたをした隊員もいた――。

119番通報は引き上げから8分後。俊一さんは病院に運ばれたが死亡が確認された。司法解剖の結果、死因は溺死。両肺に大量の水が入ったままだった。

【私的制裁の疑い】

埼玉県警によれば、繰り返し沈めた行為は、ボンベの空気が吸えなくなった場合の対処法を学ぶ訓練だったという。しかしI巡査部長は、事前に「佐々木をやりますよ」と不穏当な発言をしており、私的な制裁だった疑いは濃厚だ。

現在、W巡査が業務上過失致死罪で起訴されている。

もともと俊一さんは東入間署の地域課に所属し、交番勤務を主な仕事としていた。運動は苦手。水に潜って遊んだ経験もない。機動隊への異動を告げられたのは12年3月。自ら希望したわけではなく、とまどっていた。遺族によれば、訓練は辛そうだった。膝も機動隊に入ってから負傷した。事件直前には「死ぬかもしれない」と漏らしていた。意識を失ったこともあった。そして、辞めたい旨上司に相談していたという。辞意を伝えたことに対する見せしめ的な報復の可能性はある。

(三宅勝久・ジャーナリスト、7月24日)

以下日本交通事故調査機構の投稿

痛ましい。
個人的には警察官の幼稚性を痛感する。

ところで各部署で勤務している警察官は自分の希望だけではない。
公務員である以上は辞令で全く希望しない部署、畑違いの部署で勤務しなければならない。
(亡くなられた佐々木巡査も希望もせず、畑違いの機動隊に配置されている)

だから、事件事故で対応してくれる警察官全てが、事案処理に精通しているわけではないし、被害者や被疑者(加害者)が期待するほど、高い使命感、士気を持っているわけではない。

事件当事者にしてみれば、県民から捜査権限を付託され税金で運営しているのだから、職種部署の好き嫌いで仕事をするな、しっかり使命感を持ってやれよとお叱りを受ける。

しかし人である。やりたくない仕事を親身になって愚直に取り組むことはできない。
最低限以下の仕事でも日の丸を背負うと社会、国家はプロの捜査結果と評価してくれる。

ここに警察捜査結果やその対応に不信感を抱く関係者が生まれる一つの要因がある。

私は交番勤務から始まった。
交番勤務では警察官の基本勤務と言われる巡回連絡と立番という勤務が大嫌いだった。基本勤務が嫌いなのだから、勤務態度もいい加減、市民応接も適当だった。

任官3年目から白バイ乗務と覆面パト乗務の辞令をもらった。
希望していたし楽しく、下命が無くても悪質危険違反の検挙、取締りに夢中になった。
士気も高く、白バイ警察官の最大の武器である切符処理を自在に行えるように交通法令も研究した。

白バイを降りて交通事故捜査を担当した。
交通事故捜査の重要性、魅力に引き込まれ白バイをはるかに上回るやり甲斐を感じて仕事をしていた。
事故処理担当日は、寒暖昼夜かかわらず事故現場に臨場するのが楽しかった。
(事故捜査を好む警官は少ないので稀な方かもしれない)

事故捜査係の後、辞令で留置管理という現場から管理部門に配置になった。
重要な部署であることは十分理解しているが、正直、私には毎日がつまらない部署だった。
確かに多くの未経験部門を学んだし、バスを運転する機会も多くあり、仕事に幅を持つことがてきた。
こんな心理で働いていたから目立った功績で表彰されたことはない。

勿論、留置管理部門こそ警察の要と働き甲斐を持って勤務している警察官もたくさんいる。

私が、事件事故処理をしてくれるのが全て一流のプロ集団ではないことを知った上で書類を見ているのは、私自身の経験によるものである。

機動隊は「治安維持の最後の砦」と言われ、機動捜査隊は「初動捜査のプロ」など各専門職部隊のようなイメージが持たれている。

しかしプロには士気が絶対に欠かすことができない条件である。
そして辞令は人それぞれに士気を与えるし、奪いもする。

士気が育たない組織では、部署の雰囲気に馴染めない者、苦手が者が槍玉に挙げられる。
幼い集団ではイジメになる。

辛かっただしょう、苦しかったでしょう。先輩や上司に理不尽さを感じたことでしょう。

亡くなられた佐々木巡査のご冥福を心からお祈りいたします。

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