真実が裁判に反映されない原点

2016年06月09日 · 未分類

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6月8日、夕日とせんいの町、岡山県倉敷市児島に来た。

交通事故は日常の生活の中で起きる。
だから交通事故は警察と保険会社が真実に基づいて処理してくれるものと、普段からなんとなく感じている油断が生まれる。

事故直後に止まった場所が本当は二車線目で少し右向きが正解。
でも実況見分調書には一車線目に真っ直ぐ向いて図化されているのを取り調べの時に気付いた。

その時である。
停止位置のことだからちょと違うけど警察官がそうしたのだから、まあそれでいいかと勝手に納得してしまうところから間違いが始まる。

何年か経ち、その事故が裁判になってしまった時、停止位置が最大の争点になってしまう場合がある。
その時になって、どんなに本当は二車線目に停止したと主張しても、裁判官は聞き入れてくれない。
相手方も停止位置は一車線目だと主張する。

警察官に証言してもらったら、警察官までがも図面に書かれてある通りで間違いなく、停止位置は一車線目であると証言する。

本当は二車線目に止まったのに、絶対二車線目に停止したことが真実なのにと訴えても、誰も聞き入れてくれず、あなたの勘違い、あなたは嘘をついている、あなたの言うことは信用できないという判決が出てしまう。

本当に悔しいと思う。

日本全国の現場にはそんな悔しさが蔓延している。

交通事故裁判のほとんど全部は図面上が事故現場そのものである。

真実が裁判に反映されない原点は、最初にまあいいかと勝手に納得したところにある。

そしてもっと問題なのは、事故の当事者になって、後悔してようやく気付くことで、多くの国民が交通事故は警察と保険会社が適切に処理してくれるものと信じ切っていることである。
だから真実が裁判に反映されないのかもしれない。

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